昭和41年03月22日 朝の御理解
おかげを頂きまして、今年もそれぞれの試験の発表も殆ど終わりました。私がお取次さして頂いておる、もうそれこそ沢山の方達の、殆どがほんとが奇跡なおかげを頂いて、殆ど合格のおかげを頂いております。もうただ試験の時だけお願いにきたと、言った様な人ほどおかげを頂いております。まあ鳥栖の上野さんところの防衛大学、それから小野先生ところの鹿児島のラサール、それから吉井の杉さんところの東大。夕べお母さんがこちらにお届けに出て来ております時に、電話がありました。
合格のお礼と言うておりました。何というても今度の圧巻とでも申しましょうか、松本さんところの、松本先生が受け持っております中学三年生、櫛原中学。これは昨日お届けがありましたがですね、そりゃあ勿論、一人一人の事をお届けされましてね、一人一人に御神米を持たせて、それこそもう一生懸命でした、先生もお母さんも一生懸命でした。それにですね、県立ばかり、全部もう一人残らず通ったのです。
明膳、久留米高校、浮羽高校。その中でたった一人だけ、これはもう番外といっていいですね、それはもう家の人も当てしてませんし、先生も受けんがいいと言われた、その人だけが落ちただけで全部受け持った子供がとおっております。おかげを頂かにゃあいけんと思いますね。ところがなです、椛目のいうならハイクラスといわれる、もとおる自他共にそれを許しておる人達だけと、言うていいほど不合格になっておることです。第一秋永先生のところ、久保山先生のところ、伊万里の竹内先生のところ。
それは勿論一昨日情報が入りましたけど、長男が東大受けて、昨日電話がかかってきました。第一次ではパスしましたけど、二次で不合格になった。昨日夕べの言葉に明日改めてお礼に出て来ますからと言うてお届けがありました。椛目で〇〇先生と言われとった人ばっかりです。秋永先生ところ、久保山先生ところ、竹内先生のところ、皆さんどうした事じゃろうかと、やっぱ思うごたるですね。
あれだけの一家中あげての、特に竹内先生の所なんか椛目に親子あげて、本人なんかその為にあの受験に行く何日か前に熊本から椛目に歩いて出て来るという位熱心な人の上にもかかわらず、なら不合格になっていると言う事。昨夜先日からの女子青年会の方達だけで若柳会という会名を頂いて、女子青年ばっかりが信心の共励をやっております。昨日丁度その会合で皆さん終わりましてから、丁度十一時終わりました。それでお届けさせて頂いてから、後でその事を言うのです。
皆、どんなふうに思うか。どうしてじゃろうか、信心が一番出来ております熊谷さんなんかそうでしたもんね、もう浮羽高校でそれこそ、もういつもトップだったそうです成績も。にもかかわらず、もう毎年毎年もう毎年その不合格だった。それから何年目だったでしょうか、三年目でしたか、ようやく入学のおかげを頂いたのですね。ところがね、本当にその年に入学のおかげを頂いとかねば、このおかげは頂けまいという様な、おかげが就職の時に、はっきり分かってきたのです。
あれは本当にそれこそ、熊谷さんに他の者が挨拶がしようがないという位に、例えば十五年間も椛目に朝日参し続けたといわれる方達、当時ののハイクラスの信心の人がそうだけどです、何年か経ってみて、蓋を開けてみて初めてあれがおかげ、なるほど何年遅れていなかったら、ここのおかげは頂かれなかっただろうと、いう就職面におかげが定まったからですね。目先目先の事ちゃ分かりませんよね。
問題はです、問題は、例えば私が頂いております、御理解を頂いておりますように、鐘は割れるまで、太鼓は破れるまでと仰る。叩かねば本音が出らん。割れるごとに破れるほどに、叩かれた時に出る音が本当のものなんです。この良い音色が出るか出らんかでおかげでない。その日頃の信心がものをいうところです。皆さんが本当におかげを頂いて稽古をするならここの所をしとかにゃいけんです。
私は、その事を昨日若柳会の人達に話させて頂いたんですがね、その事を取次させて頂いてから頂く事が、こう言う事を頂くのです。沢山元を入れておればいる程、神が渡すおかげも又大きいと仰る。してみると皆さん、もうどうしてじゃろうかてんなんてん、もうこれから先もいうちゃ相すまんと言う事になるですね。千円持って行けば千円の物を渡されるものですが、百万円も打ち込んで、百万円がたのものを渡さんならんから、少しおかげに無理がいると仰る。
金光様の御信心は私達が拝んでいる、神様はそういう神様なんですよ。ひと足でも無駄にさせんと仰る神様ですから、成程そうだろうと私も思います、ね。千円打ち込めば千円がと綺麗にすぐに渡しておられるという感じでしょうがね。けれども一家をあげてです、そんなら人が千円打ち込むなら拾万円も百万円も打ち込んでおる、例えでいうならですよ。いうなら願っていって拾万円がと、お金を渡せば拾万円がと商品が貰える様に、百円持っていけば百円がとの、いわば品物しか貰えないようにです。
それがとの物を渡さんならんからおかげにも、やはり念がいるとこう仰る。熊谷さんとこの例なんかは、例を挙げればきりがありませんけれども、おかげに念が入っとった気が致します。問題はです、叩かれた時に割れる、ほんに割れるごとあった、それこそこれで破れるじゃなかろうかというごとあった。けれども日頃の信心がそん時にです、成程叩かれた時に痛いけれども、その時にそこから本当の音がです、有難いなあというものが出てきたか出てこなかったかという所にです。
言わば信心のお徳が決まると私は思うです。いよいよの時に信心させて頂いて直面させてもらって、そして自分の信心を知るが良い。日頃出来ておるように思っておっても、いよいよのときになってみて、どの様な音色が出たかは自分だけしか分からん。神様だけがご承知でないのです。今年なんかは、そういう意味に於いてです、はっきりそこの椛目でハイクラスといわれる人達が、よりによって不合格だったと言う事から、例えばこの様な御理解を頂きました。
まぁこれからが見ごとだと思っております。目先目先に、自分達の思うごとなった時だけ有頂天になって、おかげと言う様な事ではいよいよつまりません。信心の薄い者がそうであるような時には、いよいよそこに本気で自重させてもろうて、神様の御信用をいよいよ、そういう中から分からせて頂かねばならん。それこそ、目の前が暗黒な、本当に破れるごと叩かれた、割れるごと頭をガンというたという時に。
すぐに出てきておる音色というものを、味わせて頂ける信心。そこに信心を日頃手厚く頂いておる者だけしか味わえない喜びと、それにとものうてくるお徳を頂けるのですから、しっかり性根を据えて、信心せねばいかんと言う事が分りますですね。これから先でも同じこと。試験だけの事ではありません。一時が万事にそうです。そういう時ほど、いうならば、お徳を受けるチャンスだとまず心得て間違いないですね。
どうぞ。